能動的な勉強の楽しみ

成長は喜びをもたらす

 あなたは「勉強は楽しいですか?」と聞かれたら、どう答えますか?
 勉強が得意な人は「楽しい」と言い、苦手な人は「つまらない」と答える人が多くなるでしょう。でも(敢えて言いますが)、「勉強は本来楽しいもの」です。
 勉強が嫌い、または苦手だと言う生徒でも、ゆっくり説明を聞いて自分で問題が解けると、とても嬉しそうな顔をします。苦手であればあるほど、解けたときの喜びも大きいようです。
 本当に勉強が嫌いなら、解けたところで何の感情もわかないはずです。つまり、勉強が嫌い、または勉強が楽しくないというのは、勉強そのものが嫌いというより、分からない、理解できないということに不満を感じているのだと言えます。逆に言えば、どんな人間でも、何かが分かるようになる、できなかった事ができるようになる、つまり自分の能力が上がることは本能的に嬉しいものだと思うのです。
 ただし、ここで注意すべき点がひとつあります。それは、自分が成長するための勉強は、受け身ではなく能動的な勉強でないといけないということです。

積極的に知識を求める姿勢

 何かの本で読んだのですが、「授業を受ける」という言葉は、英語で表現すると「Take a class」になるそうです。日本語では「受ける」という受動的な言葉ですが、英語では「take(取る)」という能動的な言葉です。勉強に対する姿勢の違いが表れていて興味深いなと感じました。また、これも別の本にあった話ですが、ある高校の先生が次のようなことを言っていました。
 「高校生って何も教えないと、手のひらを上に向けて『教えてください』という状態なのです。基本的にほとんどの子が、自分の手のひらの上に誰かが何かを乗せてくれるのを『待っている状態』なのです。だからこそ、その手のひらをひっくり返して、自分で『つかみとる』ようにならないといけない。そうでないと勉強の本当の面白さも分からないんです」
 そもそも何かを学ぶということは、野生動物のように自ら知識を狩りに出かけ、貪欲に吸収することです。こうして知を得ることは、友人に伝えずにはいられなくなるような興奮を伴うものです。中学生や高校生ぐらいだと、どうしても定期試験や入試などの勉強をしなければならないので、このような「知る喜び」を感じにくいかもしれません。勉強内容が自分の興味で選んだものではなく、強制的にやらされるものだからでしょう。とはいえ、今の時期にいろいろな科目の基本的なことをしっかり習得しておかないと、将来自由に勉強できるようになった時に、何に対しても興味がわかないということになってしまいます。興味がわかないから新たに学ぼうとしなくなる、つまり向学心がどんどん薄れていってしまうのです。
 向学心の有無によって、インターネット社会では格差がより助長されるといえます。学びたい人はとことん効率よく学べる一方、向学心のない人は、互いに傷をなめ合うように現状肯定的になるか、あるいは互いの存在を否定するような関係に落ち込んでしまいます。みなさんはどちらのタイプになりたいですか?

目的意識を持って勉強する

 少し話が広がりすぎてしまったので戻しましょう。
 最初の段落で出てきた「能動的な勉強」というのは、単に自分から進んで勉強をする、というだけの意味ではありません。「分からなかったことを分かるようになろう」「解けなかった問題を解けるようになろう」という意識を持って勉強することです。誤った勉強法の例として、問題が解けなかった時に、理由を理解しないまま、ただ答えを赤ペンで書いて終わり、というのをよく見かけますが、これなどはまさに「分かるように、解けるようになろう」という意識が全くない人のやり方です。目的意識もなく、ただ労働のように作業しているだけなので、達成感もありません。そういう勉強だから「つまらない」のです。発想を変えて、知る喜びを感じるためにも、積極的に「理解しようとする勉強」を心がけてみてはいかがでしょうか。